創設
お年寄りの安住の地にするために
現在300人に達した職員に「やる気」が多いのは、こういった毎日の中で生まれてくるのでしょうか。ヒューマニズムとは、決して一方から一方へのものではないと思います。人と人が関わり合った時、些細な日常の中で生まれてくるのでしょう。
私達は、決して人の為に仕事をしているのではないと思うのです。人と人との触れ合いの場を確立していく作業、その中に私達自身が自分の将来を託せるのです。
福祉先進国を幾度も訪れました。進んでいる福祉をなおかつ懸命に手直しする人達に出会いました。彼らは云うのです、「私達も必ず老いる。自分がしてもらいたいことを、今、自分達が制度として残すのだ」と。
西山病院グループ10周年記念誌より抜粋
西山病院グループ創設者
渡邊庸一
昭和59年末に第2西山病院の建設構想が始まるが、
これは事業を大きくするという意図では毛頭なく、
ただただ、待ち患者さんを何とか入れてあげたいの念でしかなかった。
“ローマは一日にして成らず”20年を振り返ってつくづくそう思う。
そこには、繰り返しになるが全職員(400名)の汗の結晶が見られるのである。
私が最も誇りに思うことは、ヒューマンな心を持った職員を結集することができた、
ということになろうか。
これは事業を大きくするという意図では毛頭なく、
ただただ、待ち患者さんを何とか入れてあげたいの念でしかなかった。
“ローマは一日にして成らず”20年を振り返ってつくづくそう思う。
そこには、繰り返しになるが全職員(400名)の汗の結晶が見られるのである。
私が最も誇りに思うことは、ヒューマンな心を持った職員を結集することができた、
ということになろうか。
西山病院グループ20周年記念誌より抜粋
1938年(昭和13年) | 4月 | 東京都代々木に生まれる | |
【学歴】 | 1956年(昭和31年) | 3月 | 長野県立上田松尾高等学校卒業 |
1962年(昭和37年) | 3月 | 名古屋市立大学医学部卒業 | |
1963年(昭和38年) | 6月 | 医師国家試験合格 | |
1969年(昭和44年) | 名古屋市立大学より学位授与 | ||
【職歴】 | 1963年(昭和38年) | 6月 | 医療法人好生会 三方原病院 非常勤勤務 |
1969年(昭和44年) | 1月 | 東山高原サナトリウム 副院長就任 (現・医療法人十全会 京都東山老年サナトリウム) | |
1972年(昭和47年) | 3月 | 同病院 退職 | |
1972年(昭和47年) | 10月 | 医療法人好生会 三方原病院 院長就任 | |
1979年(昭和54年) | 3月 | 同病院 退職 | |
1981年(昭和56年) | 11月 | 西山病院開設 | |
1985年(昭和60年) | 11月 | 医療法人一穂会(西山病院法人化)理事長就任 | |
2007年(平成19年)11月18日 | 逝去 |
1938年(昭和13年)4月
東京都代々木に生まれる
【学歴】
1956年(昭和31年)3月
長野県立上田松尾高等学校卒業
1962年(昭和37年)3月
名古屋市立大学医学部卒業
1963年(昭和38年)6月
医師国家試験合格
1969年(昭和44年)
名古屋市立大学より学位授与
【職歴】
1963年(昭和38年)6月
医療法人好生会 三方原病院 非常勤勤務
1969年(昭和44年)1月
東山高原サナトリウム 副院長就任
(現・医療法人十全会 京都東山老年サナトリウム)
1972年(昭和47年)3月
同病院 退職
1972年(昭和47年)10月
医療法人好生会 三方原病院 院長就任
1979年(昭和54年)3月
同病院 退職
1981年(昭和56年)11月
西山病院開設
1985年(昭和60年)11月
医療法人一穂会(西山病院法人化)理事長就任
2007年(平成19年)11月18日
逝去
【役職歴】1981(昭和56年)~2007年(平成19年)
静岡県老人保健施設協議会 会長/静岡県在宅介護支援センター連絡協議会 会長/全国老人保健施設協会 静岡支部長/老人の専門医療を考える会 幹事/介護療養型医療施設連絡協議会 理事/全国在宅介護支援センター 協議会委員/静岡県高齢者保健福祉計画委員会 委員/静岡県集団給食協会 浜松支部長/遠州鉄道株式会社 監査役
西山病院グループの進化
1981年(昭和56年)/「西山病院」開院
1986年(昭和61年)/「第2西山病院西山ナーシング」開院
1989年(昭和64年)/「西山ウエルケア」開所
1989年(昭和64年)/リハビリテーションホール建設
1995年(平成7年)/「東館」開院
1995年(平成7年)/「西山ウエルケア」増築
1998年(平成10年)/「西山ウエルケア」に「新デイケアホール」増設
1999年(平成11年)/「西山ナーシング」の西館増設
1999年(平成11年)/「西山ウエルケア」に「浴室棟」増設
2001年(平成13年)/「グループホームハイジの家」開設
2004年(平成16年)/佐鳴台に「介護保険センター」開設、併設で「和の雑貨 いな穂」オープン
2006年(平成18年)/浜松市からの委託事業で地域包括支援センターを開始、
「介護保険センター」は「西山病院グループ介護保険センター」として統合
2006年(平成18年)/浜松市からの委託事業で地域包括支援センターを開始、
「介護保険センター」は「西山病院グループ介護保険センター」として統合
2010年(平成22年)/「こりす保育園」開設、佐鳴台の「和の雑貨いな穂」を「コミュニティサロン いな穂」に変更
2011年(平成23年)/「西山の杜」開設、西山病院の敷地の北側に「本館」オープン
2011年(平成23年)/「西山の杜」開設、西山病院の敷地の北側に「本館」オープン
沿革
1981年(昭和56年)11月 | 故・渡邊庸一理事長により「西山病院」(150床)開院 |
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1984年(昭和59年) 8月 | 西山病院 210床に増床 |
12月 | 医療法人社団「一穂会」設立 |
1986年(昭和61年) 4月 | 第2西山病院「西山ナーシング」(178床)開院 |
1987年(昭和62年) 2月 | 訪問看護開始 |
1989年(平成 元年) 4月 | 県下初の老人保健施設「西山ウエルケア」(148床)開設 |
1990年(平成 2年) 2月 | 「西山ウエルケア」デイケアセンター開始 |
1996年(平成 8年) 3月 | 西山病院 全床完全型療養型病床群 認可 |
6月 | 西山病院 老人デイケア開始 |
1998年(平成10年) 1月 | 西山「在宅介護支援センター」開設 |
1999年(平成11年) 8月 | 西山病院グループ全施設 居宅介護支援事業所認可 |
2000年(平成12年) 3月 | 「西山ナーシング」全床完全型療養型病床郡 認可 |
11月 | 西山病院 訪問介護 開始 |
12月 | 「西山ナーシング 通所リハビリテーション」開始 |
2001年(平成13年)11月 | 「グループホームハイジの家」開設 |
2001年(平成13年)12月 | 西山病院「南館」(全室個室)を増設 |
2002年(平成14年)12月 | 西山病院 225床に増床 |
2004年(平成16年) 7月 | 「西山病院グループ介護保険センター」開設 |
8月 | 「西山病院グループ介護保険センター」通所介護開始 |
2005年(平成17年) 7月 | 西山病院 もの忘れ相談開始 |
2006年(平成18年) 4月 | 「地域包括支援センター 佐鳴台」開設 |
2010年(平成22年) 3月 | 「コミュニティーサロン いな穂 佐鳴台」開設 |
4月 | 事業所内保育施設「こりす保育園」開設 |
6月 | 「短時間型通所リハビリテーション」開設 |
8月 | 「社会福祉法人 西山福祉事業団」設立 |
12月 | 西山病院 231床に増床 |
2011年(平成23年) 4月 | 「特別養護老人ホーム 西山の杜」開設 |
10月 | 西山病院「本館」開設/「デイサービス西山の杜」開設 |
2013年(平成25年) 4月 | 「地域包括支援センター 雄踏」開設 |
2014年(平成26年) 6月 | 西山病院 263床に増床 |
「コミュニティーサロン いな穂 雄踏」開設 | |
2015年(平成27年) 4月 | 西山病院 271床に増床 |
2018年(平成30年) 8月 | 「西山ナーシング」介護医療院に転換 |
10月 | 「西山ウエルケア」リニューアルオープン |
2019年(平成31年) 3月 | 電子カルテ運用開始 |
2019年(令和元年) 11月 | 「訪問看護ステーション西山」開設 |
2020年(令和 2年) 4月 | 「西山病院(介護療養病床)」介護医療院に転換 |
2020年(令和 2年) 12月 | 「西山病院グループ介護保険センターいなほ」開設 |